村上春樹は、多くの固定ファンを持つ大ベストセラー作家である。前作の「海辺のカフカ」は上下巻数60万部以上が売れたという。その最新作である「アフターダーク」は、多くの読者の期待を呼んだ。そして順調に売れているようである。薄くて読みやすい装丁。平易な文章。会話体で進められるストーリー。深夜から早朝までの数時間に起こることを時とともに追った小説である。主人公は19歳で中国語を専攻する女子大生マリ。眠れない夜を渋谷(とおぼしき街)のデニーズで本を読んですごしている。そこに居合わせた高橋はマリの姉エリの友人だ。二人は昔一度だけ姉たちとプールへ行ったことがあった。高橋はマリと数分会話を交わした後、深夜のジャズ練習に出かける。数十分後、マリは元女子プロレスラーでラブホテル「アルファビル」のナイトマネージャー・カオルから、ホテルで暴行を受けた中国人の若い女性の言葉を通訳してほしいと頼まれるのだ。渋谷の夜の闇の中で呼吸する不思議な登場人物たちは、それぞれに事情を持ち、孤独であり、しかし生活をしているのだ。ネタばれになるが、マリの姉のエリは数ヵ月に渡ってずっと眠り続けている。病気という訳ではなく、こんこんと眠っているのだ。そのエリを見つめる視線として「私たち」が登場する。小説の部分部分で不特定多数、おそらくは読者であろう、一人称複数の「私たち」による描写が行われる。このあたりは、外国の小説を想起させる手法である。物語は進み、夜は朝を迎え、小説は結末となるのだが、分かりやすい結論は用意されていない。それは、あたかも前後編の小説の前編が終わるかのようにカットアウトで幕を閉じる。「アフターダーク」のエンディングは本当の終わりなのか、それとも何かの始まりなのか、判然としないままだ。しり切れトンボの形だが、僕はけっこう好き。村上春樹ならではの文章は読んでいて心地よい。まあ、台本のト書きみたいな「私たち」が主語の描写は、ちょっと疲れたけどもね。