2005年、尼崎市のクボタの工場で働いていた人たち78人がアスベストが原因のがんである中皮腫などで死亡していたことがわかってアスベストの危険性は一気にクローズアップされました。この被害は従業員だけでなく、周辺住民にも疾病が及んでいたことも驚きでした。以来、日本中の建築物の屋根裏や配電盤などに存在するアスベストの撤去がなされています。昭和に暮らした人なら誰でも知っている、体育館の天井裏などに吹き付けられた黒い綿のような物質、あれがアスベストです。またの名を、石綿。小学校の理科の実験でフラスコをアルコールランプで熱するときに敷いた石綿付きの金網というのを憶えてる方もいるでしょう。社会的に大きく問題になったのは、この数年のことですが、実はアスベストの危険性は、20年ほど前から一部の人たちの間では口に登っていたと言います。しかし、政府はそれを無視し、防火・防音目的で建築物への使用をすすめていたというのです。なんだか、薬害エイズと似たような構造なのですよ。で。前置きが長くなってしまいましたが、この「石の肺」は作家の佐伯一麦さんが自らのアスベスト被害を告白しつつ、現在の日本に確実に存在しているアスベストの恐怖をルポルタージュした本なのです。佐伯さんは仙台一高という進学校に通ったものの進学も就職もする気はなく、上京して小説家になることを目指した人です。しかし、暮らすためにはお金を稼がなくてはなりません。そこで、短時間で金が稼げる仕事として電気工という職種を選びました。電気工と言っても、当然大手企業に属する訳ではなく都の住宅供給公社の下請けで団地の共用部分や空き部屋のメンテナンスを請け負う仕事でした。当時(昭和40年代)は、屋根裏の配線を直すにしても、配電盤の中を修理するにしても、そこかしこにアスベストがあったといいます。特に、仕事仲間の内で「ヤバイ現場」と呼ばれたビルなどでは、大々的な改造工事のために屋根裏でアスベストの粉塵まみれになって作業したこともあったそうです。そんな、自分じしんの経験を下敷きにしつつ、「痛さや苦しみを言葉で表現することが苦手な職人たちの気持ちを代弁したかった」と佐伯さんは書いています。自分の経験だけでなく、アスベスト訴訟原告たちに取材し、アスベスト禍の治療に力を注ぐ医師に取材し、現実のアスベスト撤去作業を体験し、さらには、匿名ではあるものの日本最大のアスベスト会社の社員の本音までを聞きだしたこの本は、まさに労作です。福田和也さんは、「ノンフィクションは団塊の世代のジャンルだった」と言っていますが、確かに、沢木耕太郎にしても、猪瀬直樹にしても、あの世代の書くノンフィクションには小説以上の文学性が溢れています。ところが、この「石の肺」は違います。自らも被害者であるということのせいか、佐伯さんは極力小説家であることと距離を保とうとしているような気さえします。極めてトーンを抑えて、「ですます」調で書かれていく内容は、その柔らかな語り口と反比例するかのように、恐ろしい現実を実感させてくれるのです。薬害エイズに比べて、比較にならないほど、日本中の家屋や建築物に放置されてしまったアスベストは、日本に住む人間すべてにとっての脅威と言える訳です。