その薄さと活字の大きさと1300円という値段設定、すべてが悲しいのです。作家の藤原伊織さんは、2005年の2月に食道がんの告知を受けています。一部はリンパ節にも転移していてステージⅣ前期で5年生存率20%と言われたのです。その後、放射線と抗がん剤による治療で回復したのですが、去年また再発して手術をなさったそうです。そんな藤原さんの新作が昨年末に出たこの本。中篇「ダナエ」と短編「まぼろしの虹」、「水母」という3篇を収録しています。「ダナエ」は美術業界を扱ったミステリー。かつて硫酸をかけられ切り裂かれたレンブラントの名画が「ダナエ」。思わせる手口で個展会場で傷つけられた肖像画を巡って、国際派アーチストの宇佐美とその周辺を描いています。この作品は2004年に出た乱歩賞作家による書き下ろしアンソロジーに採録されたもの。「水母」は2002年に発表された「卒業」という短編を改題したもので、主人公は今はおちぶれた元売れっ子CMディレクターですが、やはり主人公周辺の人々の複雑な関係を描いています。「まぼろしの虹」だけが、2006年秋に発表された新作です。それぞれ連れ子を抱えて結婚した両親が離婚するに際して露呈する複雑な人間関係を描いている。舞台というほどでもありませんが、主人公はCMのアシスタントプロデューサーという設定です。どの作品もいかにも藤原伊織さんらしさが溢れていて、読み終えるのがもったいない感じです。乱歩・直木ダブル受賞というセンセーショナルなミステリー・デビュー作である「テロリストのパラソル」にも通ずる藤原節が聞えます。でも、この3作で1冊を編まなくてはならなかった、という事実が、作家本人にとっても、出版社にとっても、読者にとっても、本当に残念なことだと思うのです。藤原さんの新作が読みたいです、あと1作でも2作でも3作でも。がんばっていただきたいものです。
思い出すのは、稲見一良さんですね。ドキュメンタリー映画の制作をやりながら、双葉社の推理小説賞を受賞したものの、本業が多忙で作家には専念することが出来なかったのです。それが、54歳の時肝臓がんを宣告され手術を受けるものの全快には至らず、生きた証として作家活動に打ち込むことにしたと言います。3度の手術を経て9年間に9冊の本を残して他界されました。その優しいながらハードボイルドでもある作風にはどこか藤原さんを思わせる部分もあります。