この人の持ち味は、ヘンタイ精神科医・伊良部だけじゃなかったんだなあ、と痛感した。「空中ブランコ」で直木賞を獲った奥田英朗の多才ぶりが再確認できる一冊である。主人公は中野に暮らすごく普通の小6男子・二郎。家は裕福ではないが、スポーツは万能だし、友だちと楽しい毎日を過ごしている。のだが、どうも家族に問題がある。母は「アガルタ」という喫茶店を営んでいる。そして自称フリー・ライターの父はいつでも家でゴロゴロしている。実はこの父親、元過激派で学校やら役所やら世の中の仕組みすべてを否定している相当な変わり者なのだ。区役所からやってきた国民年金の徴収者を屁理屈で論破し、家庭訪問の女性教師に議論を吹っかける。近所でも有名な迷惑オヤジなのだ。さらに二郎は不良中学生から恐喝される破目にもなる。軽やかな筆致で描かれるのだが、実のところ、最初の五分の一くらいは暗い印象の小説だなあというのが正直な感想だった。元過激派の話というのがちょいと辛気臭いし、だいたい42歳の母が昔学生運動の闘士だったなんて、ちょっと年代設定に無理がある気もする。まあ物語の舞台を5~6年前に設定すれば、ギリギリ成立するのかもしれないけどね。とはいえ、奥田小説なのでスイスイ読める。それが、三分の一過ぎたあたりから話の展開が加速してくるのだ。潜入活動家のアキラを家が居候し、不良中学生との戦いも急展開する。さらには、第一部の終わりで一家は西表島に引っ越しちゃうし…。もちろん第二部でも父親の傍若無人は続くのである。後半は南の島の風景が目の前に浮かんでくるような内容だし、少年の眼を通して描かれた都会と離島の物語は、夏読むにふさわしい一冊です! 奥田英朗って「最悪」を書き、「マドンナ」を書き、「イン・ザ・プール」を書き、本書を書いた訳で。これだけ多様な切り口を持つ人そうは居ないよ。