
上原隆の「雨にぬれても」を読了。幻冬舎文庫オリジナル。もともと、幻冬舎のウェッブサイトでの連載をまとめたものだ。上原隆という名前はあちこちで目にするので気になってはいたのだが、これが初読み。実はノンフィクションライターとは知らなかった。30篇の掌編ノンフィクションを集めた、いわば短編集なのだが、そのどれもにごく普通の人々を描く作家の鋭い眼が介在していて、実に読ませるのですね。ここに出てくるのは、二人きりで頑張ってきた会社の社長に自殺された女性社員、DVに悩まされる女性教師、戦争で算数を学べなかったため夜間中学に通う老人、大学院に通う夫のセックスレスに悩む妻、娘に金を借り続ける老母…などなど。巻末の解説で、ノンフィクションライターの渡辺一史(「こんな夜更けにバナナかよ」)は上原を抜きにして、これからのノンフィクションは語れない、と力説している。今までのノンフィクションライターは、「マッハの恐怖」の柳田邦男のように事実を積み上げて書くタイプ、「田中角栄研究」の立花隆のように集めたデータを分析することで書くタイプ、そして「深夜特急」の沢木耕太郎のように自分じしんを描くことで書くタイプ、の3通りだった。しかし、上原隆は、そのどれとも違う。ごく普通の人を、普通に描く。必要以上に筆者の存在感がある訳でもない。なのに面白い。と、渡辺は言うのです。確かにそうなのかもしれないなあ。一読後、僕が思い浮かべたのはボブ・グリーン。1985年に井上一馬によって紹介された「アメリカン・ビート」はとても衝撃的だった。アメリカにはこういう文章を書いているコラムニストというのがいるのだ、ということに愕然とした憶えがある。もちろん、アート・バックワルドみたいに政治風刺コラムニストがいることは知っていたが、市井の人々を多少ウェットに描くことが商売になるというのが面白かった。それから、20年。日本にもそういった意味でのコラムニストが誕生したのかもしれない。とにかく、上原隆の文章は、やめられないのである。早速、「友がみな我よりえらく見える日は」、「喜びは悲しみのあとに」、「雨の日と月曜日は」の三冊を購入してしまいました。