「さらば雑司ヶ谷」でデビューした樋口毅宏さんの2作目。期待以上の力作に仕上がってました。前作で用いた手法をさらにパワーアップさせて、本筋と関係のない会話や文学的、哲学的トリビアをちりばめながら、ありえないほどの性描写、バイオレンス描写を駆使し、さらには裁判員制度というタイムリーなシステムの裏側を喝破してみせる。今年読んだ小説の中では、いまのところナンバーワンです。前作に比べて数段上達したと思われる筆力。難しい漢字を多用した地の文でありながら、いかにも現代に飛び交っていそうな会話文が成立しているという荒業。まさにイマの文学という感触。あまりにもストレートすぎるタイトルにも仰天させられますが、内容も破天荒。スワッピング雑誌の編集部で妻を編集者たちに思うままにさせる夫婦が主人公であり、開巻数ページから、濃厚・濃密で背徳的、思わず目を背けたくなるような性描写の嵐が渦巻いているんですからね。「なんだい、ただのエロ小説じゃないの」と書を閉じる方も多いのではないか、と思われます? しかし、その前の数ページを注意深く読んでいれば、答えは否! 並々ならぬ教養と現代を上手に切り取る才能を秘めた文章は、けっしてエロ小説と切り捨てられない魅力を携えているのです。しかも、エロ描写も最高級品ですから、ページをめくる手が止まるはずもありません。帯の惹句にある通り、官能に始まり、圧巻のバイオレンスを経て、法廷サスペンスへと変貌を遂げるこの物語。並みの小説じゃありません。タイトルと題材で、相当損をしていると思われますが、明らかに現代日本小説のトップを走る一編と言っていいでしょう。この凄さは読んでもらうしかないと思うのですが、前作「さらば雑司ヶ谷」でも話題になった、音楽や映画、小説に関する物語の本質と関係のない会話や描写は、今回も冴えまくってます。サニーデイ・サービス、フィッシュマンズ、ナンバーガールといった解散したグループ、GREAT3の歌詞についての考察、「ピアノ・レッスン」とキリスト教原理主義の関係、などどれも楽しませてくれます。さらに、警察と裁判とマスコミ、さらにそこに加わった裁判員などの、いかにも日本的といえる行動原理の描写も絶妙です。そして、結末に向けて様々な伏線がこれでもか、とばかりに拾われていくエンディングには、まさに目くるめく思いをさせられた、と言っておきましょう。
一番興味深いのが、今回も巻末に載せられた影響、引用、パスティーシュ、オマージュのネタとして掲げられた作品と人物のリストです。「一瞬の光」、「僕のなかの壊れていない部分」など白石一文作品があるかと思えば、安達哲、近藤ようこ、業田良家、「グラップラー刃牙」、「ヒミズ」などマンガ関連が並び、「安生が表紙の週プロ」、「村上龍の文学賞選考会後のコメント」、など意味不明のものまでずらりと掲げてあります。あとがきの最後は、「それでは、続編『中国のセックス』でお会いしましょう」と〆られています。前作の最後に「雑司ヶ谷R.I.P.」で、とあったのと同じですね。ただの遊びかもしれないし、本当に続編があるのかもしれない。この樋口毅宏という作家のポテンシャルはまだまだ深くて、その底はまったく見えていないといえるでしょう。あれ? ポテンシャルって深い浅いでいいんでしたっけ? それとも広い狭い? 大きい小さい? どれが正解???