傑作だと、聞いてはいたけれど。ここまで素晴らしいとは…。誰一人として顔を知ってる俳優が出演している訳ではないし、主人公も決して魅力的とも言いがたい。映画を包み込む空気感も閉塞的で寒々しいし、カタルシスを生むような結末に向かっている予感など持つこともできない。なのに、グイグイと引っ張られてしまう脚本と演出のテクニック。登場人物たちのキャラクター設定。なるほど、無名の小品なのにアカデミー2部門ノミネートも肯ける出来でした。冒頭。寒々とした空気の中、タバコに火をつける中年女。かつては美しかったのかもしれないけれど、もはや歳月がそれをどこかに流しやってしまい。身体のあちこちに見える中途半端なタトゥーが、彼女の半生を彷彿とさせる。ゆっくりと最初の一服を吸い付けると、右の目から涙が…。なかなかのオープニングでしたね。とにかく、最初っから、これから始まる映画は絶対に楽しいもんじゃないよ! って宣言してるような映像なんだもん。そして話が進むにつれ、主人公のレイが15歳と5歳の男の子とモーターホームに住む、ホワイト・トラッシュだということが分かってきます。新しいモーターホームのためにせっかく貯めたお金もカジノ狂いの夫に持ち逃げされ。せっかく手付け金を打った新宅もクリスマスまでに残金1500ドルを払わないと流れてしまいます。そんな、窮地に立ったレイが知り合うのがモホーク族の女性・ライラ。河を挟んでカナダと接するニューヨーク州の小さな町には、インディアンの居留地があります。ライラは、カナダからの違法密入国に手を染めていて。凍結した河の上を自動車のトランクに違法移民を載せて運び込む仕事です。窮乏の中、つい違法な仕事に手をだしてしまう女二人を待ち受けるものは…。映画が始まってからのすべての映像が、不安というベースの上に紡ぎ上げられていて。この後、何がおこるのか、観客はずうっと不安で心がザワザワしています。しかし、見るのをやめることもできない。なぜなら、それだけ計算された不安だから。映画後半、思いも寄らないような展開やちょっとしたどんでん返しも用意され、それなりの(アン?)ハッピー・エンディングで幕を閉じるこの映画。予備知識を持たないで見ることをお勧めします。コートニー・ハント監督は、この作品が長編初監督。「息もできない」のヤン・イクチュン監督と同じですね。地に脚をつけて現実を見つめていけば、こういう素晴らしい映画が出来るのだなぁ。ぜひ、日本でも、と切望いたします。「フローズン・リバー」、もう少しの間なら、名画座などのスクリーンで見ることも可能なようだし、ぜひ映画館で観てくださいね。