白石一文さんの最新作。直木賞候補にもなっていますね。帯の惹句によれば、山本周五郎賞受賞第一作でもあるそうです。白石さんという人は、「一瞬の光」でデビューした時から読み続けていますが、たぶん前作の「この世の全部を敵に回して」で、ある意味完全に突き抜けちゃったんだと思います。「この世の…」は、ずいぶんと不思議な作品で、小説と呼んでいいのかすら分からないくらいなんです。小説家である主人公が、ふとしたことで知り合った実業家から長い原稿を預かるという体裁を取っていて、その文章も小説というよりは哲学論文みたいなんですよ。ある意味、生きるとか死ぬとか人を愛するとか好きになるとか家族とか、そんなすべての物事を白石さんが考えて考えて考えぬいて書かれた結果が「この世の…」だったんだと思います。その極限ともいえる地点を通過してから書かれたのが、この最新作。いつもの白石テイストも満載なんですが、少しばかり「おや」と思わせる点もありました。この本には2作の中編が収められているんです。妻の浮気に悩む若いサラリーマンを主人公にした「ほかならぬ人へ」と結婚間近なのに不倫を再開してしまうOLが主人公の「かけがえのない人へ」。これまでの白石作品だと、ほとんど主人公(とその相手)は美男か美女だったんです。それが、今回はどちらも自分の容姿には自信を持てないという設定になっているんですよ。「ほかならぬ人へ」の主人公・宇津木は、財閥の家に生まれながら、頭もよくなく見た目も冴えない27歳のスポーツ用品メーカー社員。親の反対を押し切って結婚した美しい妻が幼なじみの男と浮気を繰り返していることに悩みぬきます。また、「かけがえのない人へ」の主人公・みはるは、美人と言うよりは十人並みの電気会社OL。ひょんなきっかけで付き合いだした東大出で社長令息でもあるエリート社員との結婚を控えています。なのに、元上司との不倫を再開してしまうのです。どちらの作品でも、主人公が美男美女でないだけでなく、その相談相手や不倫相手になる登場人物(もちろん異性ですが)までが「ぶさいく」だったり「太めな熊みたい」だったりするのです。そんな表面上のことは、作品に関係ないのかもしれませんが、あまりにも美男美女とエリートだらけだった、従来の白石作品の登場人物と明らかに趣を異にしているんです。そして、読後感はこれまでの作品に比べて、より重く苦しいものになっている気もします。直木賞を取るにはちょっとアンオーディナリーすぎるかな、という小説ではありますが、白石作品を全部読んできた読者としては、この変質でさらに白石さんの作品世界が広がっていくことを期待しちゃいます。