前作「この世の全部を敵に回して」が不可思議なものだったので、少々いぶかしみながら手をつけたのだけれど、この白石一文の新作には打ちのめされました。まったく評価しない、という人もいるだろうけど、僕にとってはこれほどの傑作はないと思えるのです。前作は、小説というよりも人間の生と死とは何かということの思索を突き詰めたような作品でした。さらに、死んだ友人の手記という体裁を取っているため、ほとんど小説ではないような領域にまで踏み込んでしまっていた感がありました。ではその次に、白石さんがどんな作品を書くのか。しかも講談社の周年記念の書き下ろし100冊の中の上下巻に渡る長編として…。読み始めると、一見ごく普通のビジネス小説にも見えるのです。主人公は40代の週刊誌の辣腕編集長であり(明らかにモデルは週刊文春でしょう)、有力政治家のスキャンダル・スクープに始まり、社上層部を巻き込んだもみ消し工作やら、社内の派閥抗争など、デビュー作の「一瞬の光」を彷彿とさせます。もちろん、濃厚なセックス描写だって、いつもの通りです。しかし、主人公が早々と持病を明かし、オカルト的な現象も描写され、白石節が唸りはじめます。
生や死にまつわる思索が展開された後は、ミルトン・フリードマンの米プレイボーイ誌でのインタビューを引用することで経済に関する考察までが展開されます。また、後半では「宇宙からの帰還」をひも解き、宇宙と地球と生物の存在論までに及ぶのです。政界や芸能界・マスコミの裏側を描くエンターテインメント的部分を基調にはするものの、人間の生死に思いを馳せる部分や、社会経済構造の根本的な矛盾を指摘する部分、いくつかの異質な要素が絡まりあいながら、ひとつの大きな物語を形作っていくという小説。この一冊の内容、すべてが主人公・カワバタという男の脳みその中で展開される事柄であり、つまりそれは白石一文の脳髄の思惟に他ならないのですよね。好き嫌いはあるでしょうし、一般受けする造りとも思えませんが、時間を置いて読み返してみたい長編ですね。
ところで、この本の帯(腰巻ともいいますね)が振るっているんですよ。上巻が「これはセックスと経済の物語~セックスは男が女にふるう根源的な暴力だ。」というもの。で、下巻が「イチローの年収とネットカフェ難民の絶望~僕たちの同情や共感には一体どれほどの根拠や理由があるのだろうか。」となってます。上下巻を通読した僕としては、この帯のコピーが痛いほどよくわかるんです。でも、これからこの本を買おうかと迷ってる人にどれだけの効果があるかは超疑問。たぶん、あまりないはず。セックスとかイチローとかネットカフェ難民とかの言葉で、読者に何かを感じ取ってもらいたかったのかもしれませんが。根源的な問題はそんなワードにはありません。白石さんがこの作品で目指したのは、時間という「この胸に深々と突き刺さった矢」を抜くことで、人間が生きていくということの意味が瞬間瞬間にしかないのじゃないかという仮説の検証だったのだと思うのです、僕は。